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シベリア抑留者
最後に、ロシア旅行はトラブルが付き物とはいえど、今回は
多少の問題はあったにしてもすべて良い方に解決し、まったく
事故のない良い旅であった。
N氏の手配がしっかりしていた事は勿論のこと、T氏はじめ皆
さんの日頃の心がけがよいから幸いしたのかなー、等と勝手
に納得しているのである。
どうしても書いておきたい事がある。
ロシア極東地方の不毛の地ツンドラに足を踏み入れた時、思
い浮かんだ事がある。
もうかれこれ四十年以上も前になるが、私が入社して間もな
い頃、赴任した現場の所長で既に鬼籍に入られてしまった I
さん。
彼はシベリア抑留の経験者で、夕食時に冷酒を飲みながら生
死の境をさまよった話を何度も聞かされた。
そして最近の話であるが、以前一緒にインドネシア採集の旅
に同行した事のあるMさん。
彼は既に八十歳を越えられましたが、別のロシア採集ツアー
に参加し、沿海州コムソモリスクでメンバーと離れ迷子になり、
タイガ(山地の針葉樹林帯をさすロシア語)で一晩過ごしたと
いう。
実は彼もシベリア抑留の経験者だ。
無念の死を遂げた戦友に線香をあげるべく、幾本かの線香と
マッチを持参していた。
そのマッチで焚火をし、寒さと熊などに襲われない様にして一
晩明かしたという。
翌朝民家に無事たどりつき救われ、助かったのである。
彼はタバコを吸わず、普段マッチやライターを持ち歩かない人
なのだ。
「戦友の魂が『おまえはまだ早い』と助けてくれた」と言ってい
た。
何ともジーンと来る話である。
それに比べ、私などたいした苦労もなく六十歳を越えてしまっ
た。
これも、先人達が生死を掛けて戦ってきた苦労があったればこ
そ、今の物の豊かな生活なのだと思いを新たにするのであ
る。
この、先人たちの苦労はただ単にそういう事があったというだけ
でなく、その重みも次の世代に語り継がなければならない。
あまりにも命を粗末にしているような、今日この頃の事件に触
れると、こんな思いに囚われるのである。
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